唐辛子の歴史について

トウガラシは、古代インカ帝国時代に『アヒ』として認知されていました。

アステカ帝国時代は、『チリ』として呼ばれていました。

ちなみに、現在の南アメリカ合衆国やメキシコでも同じ呼び方です。

さらに唐辛子は、探検家として活動していたChristopher Columbus

(クリストファー・コロンブスです)さんの新大陸(北アメリカ大陸です)を発見によって、

スペインに持ち込まれました。

その後、スペイン人が『チレ』として呼ぶようになりました。

目次

唐辛子の歴史について

唐辛子は、中南米原産の辛味香辛料です。

熱帯雨林地帯〜乾燥地帯まで幅広く分布しています。

 

ヨーロッパで唐辛子の果実を乾燥させた粉末が各地で普及するまで、

中近東地域〜地中海を通じて取引されていました。

そして、黒胡椒(ブラックペッパーです)の仲間と混合されていました。

つまり、当時のヨーロッパでは胡椒の代用品として貴重な香辛料でした。

その後、ヨーロッパ全土に栽培が広がりました。

 

当時のギリシャ香辛料商人は、唐辛子の果実を胡椒の果実と区別する為に

チリ・ペッパーとして呼ぶようになりました。

そして、イギリスがレッド・ペッパー、

ドイツがインディアニフヒェル・プフェッフェルとして認知されてました。

ちなみにハンガリーは、パプリカです。

現代のヨーロッパは、辛味や甘味関係なく全ての唐辛子をパプリカとして呼んでいます。

 

トウガラシは、ヨーロッパ各地の食文化に溶け込んでいきました。

具体例はイタリアのペペロンチーノ、スペインのアヒージョ、

ハンガリーのグヤーシュなどです。

日本の唐辛子の歴史について

16世紀、鉄砲伝来と共にポルトガル人が伝えた説と

戦国武将として活動していた豊臣秀吉さんが

朝鮮出兵の際にポルトガルから伝来していた種子を日本に持ち帰った説が有力です。

つまり、16世紀〜17世紀に唐辛子が伝来した記録が残っています。

しかし、唐辛子伝来の普及は他の外来野菜よりも速いです。

 

1630年、江戸時代で七味唐辛子が発売されました。

七味唐辛子は、甲州街道の宿場『内藤新宿』で内藤とうがらしが栽培開始したのが起源です。

当時の日本は、干して乾燥した唐辛子の果実を粉砕して香辛料を製造していました。

基本的に蕎麦やうどんなどの薬味に使用していました。

つまり、甘味種ではなく辛味種が主力です。

17世紀、京都府の河内屋(清水寺付近です)で

白湯に唐辛子の粉をふりかけた『からし湯』が販売されていました。

18世紀、江戸で細かく切った蕎麦麺である蕎麦切りが流行りました。

大根の搾り汁、鰹節、山葵などがふりかけとして主力でした。

しかし、薬味の唐辛子が導入されて大人気になりました。

 

ちなみに七味唐辛子は、1630年に江戸薬研堀で辛子屋を経営していた中島徳右衛門さんが、

辛味種の果実粉砕品と数種の薬味を混ぜた七味唐辛子を販売開始しました。

江戸時代、蕎麦屋や屋台がたくさんありました。

蕎麦と七味唐辛子は街道と宿場町の発展によって物流産業が成長していきました。

さらに、全国各地に広がっていきました。

三大七味唐辛子について

①七味家(京都府です)

大きな特徴は、低刺激です。

陳皮を使用していません。

替わって青のりと白ごまが配合されています。

昆布出汁を多く使用しているのでグルタミン酸の旨味が淡口醤油と合います。

 

②薬研堀(東京都です)

大きな特徴は、強刺激です。

蕎麦の出汁が鰹節を長時間煮るのでイノシシ酸が多いです。

旨味の強い濃口醤油を使用しています。

 

③八幡屋磯五郎(長野県です)

大きな特徴は、薬研堀よりも唐辛子の配合が少ないです。

替わって生姜が入っていて辛味がマイルドになっています。

1736年、商人として活動していた室賀勘右衛門さんが境内で七味唐辛子を販売開始しました。

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