遺伝子豆について
1982年、アルゼンチンのフォークランド諸島(マルビナス諸島です)に軍隊が上陸しました。
イギリスとアルゼンチンがフォークランド紛争として勃発しました。
つまり、アルゼンチン側がフォークランド諸島の領有権を奪回する為です。
ちなみにマルビナス諸島は、1833年からイギリスの植民地になりました。
イギリス軍は、空母機動部隊、原子力潜水艦、兵員輸送船、長距離爆撃機を
南大西洋へ遠征させて奪回しました。
さらにアメリカ合衆国、チリ、欧州共同体(ECです)などの協力も得て勝利しました。
遺伝子豆について
遺伝子豆は、遺伝子組み換え大豆です。
日本は、毎年多くの遺伝子組み換え作物(GMOです)が輸入しています。
遺伝子組換え作物は、生物から有用な遺伝子を取り出して、
別の生物の遺伝子に挿入する事によって開発された作物です。
19世紀、牛肉と穀物への要求が世界中で増加しました。
アルゼンチンは、移民労働者が大量に流入しました。
輸出向けのアルゼンチン産食肉を詰め込んだ巨大な冷凍装置を蒸気機関車が率引しました。
1850年代のアルゼンチンは、100万人程度です。
1914年になると、800万人程度に達しました。
1920年、大豆の脂質が約20%(パーセントです)程度、
タンパク質が40%程度含まれているので、パン、ハンバーガー、ドッグフード、
ベビーフードなどの加工食品として利用されました。
その後、家畜が生肉機械へ変貌した事によって、人間が肉への欲求が強まりました。
大豆栽培は、食肉牛と鶏用の飼料として生産しました。
しかし、第1次世界大戦後の世界恐慌が発生しました。
食肉の輸出が急落しました。
1946年、アルゼンチン軍指導部が政権を掌握しました。
牛肉機器による経済低迷を防ぐ事ができなかったので、
アルゼンチン経済が危機的状況に陥ってしまいました。
経済破綻と極端な通貨の下落に見舞われました。
1950年、農学者が植物の遺伝暗号を解読しました。
植物の各細胞に含まれている遺伝子によって、生長時期や収穫量などが決まるからです。
科学者が遺伝情報を解読した事によって、植物の遺伝的特徴を変更できるようになりました。
つまり、遺伝子組み換えです(Genetic Modificationです)。
ちなみにGenetic Modificationの略語は、GMです。
植物の遺伝子を他の植物の遺伝子へ移植する事が可能になりました。
1980年、GM植物を実際に栽培が可能になりました。
1997年、1100万ha(ヘクタールです)程度の換金穀物として大豆の栽培が活躍しました。
そして大豆は、土地を耕さなくても、そのまま土壌に埋め込めるからです。
1997年〜2002年、5年間で生産量が75%増です。
しかし、大豆を中心としたアグリビジネスの台頭が始まりました。
小規模農家が破綻して、農村部で失業者が増えました。
ちなみにアグリビジネスは、大豆と競合する雑草を防除する為に、
除草剤耐性がある大豆に遺伝的プログラムを施した除草剤を散布する商売です。
除草剤に耐性を持つ雑草であるスーパーウィードが出現しました。
つまり、別の除草剤を散布する必要になりました。
そして、ブラジルで大規模に非GM大豆を生産していたので、
ブラジル農家は遺伝子組み換え大豆の導入に抵抗しました。
2002年、ブラジルの大豆はアルゼンチンとの国境を越えた
GM大豆が既に混ざり込んでいたので、ブラジル農家の抵抗が退けれました。
2005年、コットン、トウモロコシ、ナタネ、スカッシュ、パパイヤ、大豆なども
GM作物は、世界21ヶ国で栽培しました。
現在のGM作物の主な生産地は、アメリカ合衆国、
ブラジル、カナダ、アルゼンチンに集中しています。