ナツメグについて

ナツメグは、食品や飲料品などに風味を付ける為に使用されました。

そして、沈黙貿易で取り扱う商品の1つです。

ちなみに沈黙貿易は、取引相手同士は接触せずに、

お互いに商品だけを置いて交換し合う交易手段です。

当時は、金属や鏡などの商品と交換する為に人気がない海岸で取引しました。

ナツメグについて

ナツメグは、ニクズク属樹木やニクズクの種子を挽いて粉末にした香辛料です。

別名は、ナッツメッグ、ナットメグです。

主な原産国は、東南アジアの熱帯島です。

主に食欲増進、消化促進、不眠症対策、下痢対策、腹痛対策などで有名です。

しかし、有毒であるミリスチシンやアルカロイドなどが含まれています。

多量摂取すると、意識障害や幻覚などの症状が起きる場合があります。

 

500年、スパイス積載品の1つとしてヨーロッパに持ち込まれました。

700年、アラブ人によって、陸路で輸送されました。

ヴェネツィア商人もナツメグに注目して利益を上げました。

1497年、ポルトガル航海士として活動していたVasco da Gama

(ヴァスコ・ダ・ガマです)さんが、喜望峰周辺の航路を発見しました。

ヨーロッパは、インド洋の海運貿易へ移行しました。

その後、ナツメグの出所が発見できました。

熱帯のマルク諸島にある広大なナツメグの林が発見しました。

 

しかし、ポルトガルはナツメグの貿易を支配できませんでした。

実は、世界初の多国籍企業『オランダ東インド会社』がナツメグを支配しました。

17世紀、オランダ東インド会社は商業利権を保護する為に、

隣接する島々のナツメグ林を徹底的に破壊しました。

 

資本力を活用して傭兵を雇いました(競争相手の首を切りました)。

ナツメグの出荷は、奴隷労働力を駆使して高利益を維持しました。

つまり、宗主国の方針で先住民に大きな損害を与えました。

1745年、フランス園芸家として活動していたPierre Poivre

(ピエール・ポワブルです)さんが、フランス東インド会社に入社しました。

●宗主国は、植民地支配をしていた国です。

 

1760年、Pierre Poivreさんは、モーリシャス共和国や

レユニオンにプランテーションを開設しました。

1776年、Pierre Poivreさんは、オランダに対抗して

マルク諸島からナツメグの種子を密輸しました。

結果的にオランダ東インド会社の独占的利益が衰退しました。

1796年、イギリスはインドのコルカタ、セイロン(スリランカ民主社会主義共和国です)、

マレーシアのペナン州、イギリスのキュー王立植物園に向けてナツメグの苗木を送りました。

●プランテーションは、欧米諸国の植民地であった国々が、

宗主国に輸出する事を目的とした作物を栽培する為に開発された大規模農園です。

 

ナツメグは、最初にマルタ諸島の島民が独占しました。

その後、ポルトガルの進行で支配されました。

さらに、ポルトガルからオランダやアラブの支配権へ移りました。

最終的にオランダの独占が崩壊して、ナツメグが世界中に広がりました。

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