ジャガイモ飢饉について

18世紀、ジャガイモはアイルランドの重要な作物になりました。

そして当時のアイルランドは、イギリスの植民地です。

特にイギリスの内戦によって、イギリスの傘下になりました。

当時の農民は、包囲攻撃による虐殺を受けていました。

ほとんどの農民は、貨幣を使用しない生活を過ごしていたので、

代用通貨である牛を活用していました。

つまり、ジャガイモは牛や豚などの飼料として利用しました。

ジャガイモ飢饉について

ジャガイモ飢饉は、18世紀末に発生したジャガイモの不作飢えです。

そしてジャガイモは、気温が高く、湿度も高いと、真菌感染症である

Phytophthora infestans(フィトフトラ・インフェスタンスです)によって、

葉が枯れてジャガイモ自体が全滅しやすくなります。

 

ほとんどのアイルランドの借地人は、イギリス政府に対して、

紅茶や砂糖などの日用品の輸入税を支払っていました。

さらに搾り取られた高い地代は、不在地主の懐に入る仕組みです。

つまり、農民が困窮化になりやすい構造です。

しかし、ジャガイモのおかげでアイルランドの人口が増加しました。

 

1800年までにアイルランド人口は、450万人に達しました。

多くの家庭でジャガイモを利用するようになった事で、飢え対策に繋がりました。

毎年夏になると、ジャガイモ疫病対策としてブルーストーン(硫酸銅です)と

洗濯ソーダ(炭酸ナトリウムです)の混合液を噴霧しました。

しかし、1845年に様々な薬剤を噴霧してもジャガイモが腐ってしまう現象が生じました。

 

1846年、アイルランドのジャガイモが不作になりました。

1847年、トウモロコシは豊作です。

ちなみに1840年代は、1000人程度の餓死が発生しています。

実は、アイルランドのトウモロコシはイギリスへ輸出されていたからです。

植民地であるアイルランドは、利益搾取による繁栄と被害が引き起こりました。

ジャガイモ飢饉で基盤が崩壊して、農村の姿が大きく変化しました。

 

地代の高騰化、手に負えない抵当利息などのアイルランドの社会構造が異変が生じました。

最終的に農地改革で農地の3/4程度は、元々の小作農民に再分配しました。

破産した領主は、邸宅や堀などを張り巡らせたキッチンガーデンを手放しました。

そして大きな保有地は、耕地整理しました。

使い勝手が良い長方形に区画分けされた農地になって、農家の裏手に広がりました。

 

その後、フランスで農民が飢饉が続いた事によって、

食べ物が草の根とシダだけになって餓死した農民が増加しました。

しかし、フランスの貴族はジャガイモへの抵抗が断固としてあったので、

農民がたくさん餓死しました。

薬剤師として活動していたAntoine-Augustin Parmentier

(アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエです)さんは、

ブルボン朝第5代フランス国王として活動していたLouis XVI(ルイ16世です)さんに

ジャガイモの採用を説得しました。

 

1770年、Antoine-Augustin Parmentierさんは、Louis XVIさんから

ヴェルサイユ宮殿敷地内の畑に機密作物であるジャガイモを利用できる許可を得ました。

さらに、畑周辺に監視人を配置して作物を警備しました。

しかし、警備がフランス市民の関心に繋がりました。

夜間にフランス市民に畑を荒らされて、フランス市民が不法にジャガイモを入手しました。

結果的にフランスにジャガイモが広く認知されました。

 

1793年、フランス共和派閥の人々がLouis XVIさんを処刑しました。

その後、専制君主制の庭園は掘り返されました。

実用性が高いジャガイモの生産が可能になりました。

つまり、Antoine-Augustin Parmentierさんの策略によって、

ジャガイモに対する偏見から解放されました。

 

ヨーロッパは、貴族と高級聖職者が権力を独占していた状況が崩壊して、

ブルジョワジー(商工業、金融業の上位層です)が権力を握った変化に発展しました。

つまり、ブルジョワジーが権力を握りましたが、

貴族を排除する事なく1部の貴族は連立を続けました。

具体例は、フランス革命です。

 

フランス国王がフランス1/5程度の領土を持つ最大領主でした。

国王の周りで権力を組織していた宮廷貴族は、国王に次ぐ大領主です。

つまり、減免税特権の最大の受益者です。

財政支出の中から宮廷貴族の有力者は、巨額の国家資金を様々な名目で手に入れていました。

しかし、戦争や飢饉などによって、国家財政が破綻して支払うべき財政資金が目減りしました。

権力を握っていた宮廷貴族は自分の減免税特権を温存して、

ブルジョワジー以下の国民各層に対して負担をかぶせようとしました。

 

しかし、立場上の安全性を考慮して権力の獲得を目論んだ商工業者や金融業者は、

国民の様々な階層を反乱に駆り立てました。

その後、領主の組織する権力を破壊しました。

最終的に国王軍と群衆の衝突によって、国王軍が敗北しました。

つまり、フランス革命は宮廷貴族の減免税特権は廃止して、家柄万能時代が終わりました。

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