債券の歴史について

世界経済や日本経済に欠かす事ができない債券は、信用格付けがあります。

そして格付けは、専門的な知識を所有している格付け会社があります。

基本的に企業、国、自治体などの債券発行体を格付けする発行体格付け、

個別の債券を格付けする個別格付け(債券格付けです)をします。

そして発行体格付けは、発行体の債務全体に対する返済可能性に対して行います。

つまり、発行体につき1つの格付けをします。

さらに個別格付けは、債券ごとに回収リスクがあるので、

同じ発行体でも異なる格付けがなる事があります。

つまり、債券につき格付けしていきます。

目次

債券の歴史について

ローマ帝国時代、戦費調達目的で軍事公債を行いました。

12世紀、現在の債券の原型が始まりました。

イタリア各地に都市国家が成立しました。

当時のヨーロッパの国王は、国の運営資金が不足すると、

交易で富を蓄積している商人を通じて資金を借りていました。

しかし、王位が代わると、借した資金が返却されない事が起こりました。

その後、豪商は国王に貸さなくなっていきました。

 

政府や議会が返済を約束する貸付債券を発行しました。

そして政府は、貸付債券を通じて豪商に売る方法を編み出しました。

特にベネチア共和国(イタリアです)の貸付債権は、信用度が高いです。

当時は、ヴェネツィア共和国が世界最大の経済大国です。

市場価格が形成して現在の債券取引の原型になりました。

 

16世紀、スパインが貿易を通じて降盛しました。

スペインの財産を管理していたイタリアのジェノヴァ(ベネチア共和国のライバルです)は、

ルオーギ債(償還期限がない債券です)を発行しました。

つまり、税金の徴収権(徴税権です)を担保にして、

税金の徴収額に応じて利子が変動する仕組みです。

 

17世紀、オランダが交易を通じて降盛しました。

政府が発行した国債を個人投資家が購入する流れが始まりました。

国債の管理制度を整備しました。

 

1692年、イギリスが貿易を通じて降盛しました。

恒久的な税金(酒類に対する物品税です)を担保にして国債を発行しました。

1694年、国債発行支援目的でイングランド銀行を設立しました。

1706年、イングランド銀行が単独で国債の管理を引き受けました。

国債に担保に貸付をして国債の現金化に対応しました。

つまり、債券市場の流動性が確保しました(現代の債券市場に近い状態です)。

 

1820年、社債の発行が始めました。

1850年、アメリカ合衆国で鉄道建設ブームが引き起こりました。

社債発行で調達した資金によって、多くの鉄道建設が始まりました。

その後、社債市場が発達しました。

日本の債券の歴史について

1870年、日本で初めて国債を発行しました。

鉄道建設目的で九分利付外国公債をイギリスのポンド建てで発行しました。

オリエンタル銀行を発行代理店としてロンドン証券取引所で公募によって販売しました。

九分利付外国公債は、関税収入を担保にして年利9%(パーセントです)、

発行額が100万ポンド、償還期限が13年です。

ちなみに当時は、イギリスが世界最大の経済大国です。

 

1872年、新橋・横浜間で鉄道を建設しました。

1882年、日本は九分利付外国公債を償還しました。

その後、日本政府は債券市場に積極的に介入しました。

 

1929年、世界的に世界恐慌が起こりました。

1930年、昭和恐慌が発生して多くの社債がデフォルト(債務不履行です)しました。

無担保社債の発行を禁止する社債浄化運動が始まりました。

その後、社債発行する為の基準(適債基準です)、

発行後の財務上の制限(財務制限条項です)などが厳格化しました。

担保付きの社債と軍需関連企業の社債が社債市場の80%程度を占めました。

その他の企業は、銀行の融資中心で資金調達をする日本特有の金融システムができました。

 

1994年、社債発行の発行額の制限緩和をしました。

1996年、適債基準・財務制限条項が撤廃しました。

全ての法人企業が社債を発行できました。

 

2003年01月、国債をペーパーレス化しました。

同年03月、短期社債をペーパーレス化しました。

2006年、一般債(社債、地方債などです)をペーパーレス化しました。

証券保管振替機構が一般債振替制度を導入しました。

社債、地方債、特別法人債、円建て外債などの権利移転を

完全にペーパーレス化する為にできた決済制度です。

現在は、多くの金融商品が電子化しています。

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