シダについて

シダ植物は、世界で最も古い植物の1つです。

そして、シダが最も利用されているのが石炭です。

紀元前3億3500万年前、海や湖などの近くに巨大なシダ植物が生い茂っていました。

水分がある場所でシダが枯死すると、埋もれていきます。

その後、砂や土の中で積もっていきます。

何度も地表変動をくり返して圧力とマグマの熱によって、

植物は押し固められて徐々に石炭になっていきます。

つまり、長い年月をかけて植物は石炭の層になります。

シダについて

シダは、維管束植物です。

胞子による繁殖を行う植物の総称です。

原産国は、アジア地域、ヨーロッパ地域、温帯地域などです。

 

シダの葉は、太陽光を受けて生長していきます。

シダ植物が朽ち果てるまで太陽エネルギーを吸収して蓄えていきます。

腐植後は、動物の餌になります。

そして朽ちたシダは、徐々に泥沼の堆積物の下に埋まっていきます。

基本的に柔らかいビート層になって、1000年程度を経て圧縮されていきます。

黒いエネルギーを詰め込んだ炭素分が豊富な地層に変わっていきます。

つまり、石炭の誕生です。

 

紀元前3300年(青銅器時代です)、ウェールズ族(ケルト系民族です)が

火葬の際に石炭を燃やしていました。

当時は、地表の石炭を利用しました。

地下の採掘は、当時の人々があまり慣れていなかったので地表面から採掘しました。

紀元前315年、石炭が鍛冶屋の燃料として利用しました。

 

ローマ帝国時代、北ヨーロッパ地域で石炭が利用されました。

古代ローマ人は、風呂や床下暖房などの燃料として石炭を活用しました。

江戸時代、福岡県の筑豊炭田の石炭が瀬戸内海の製塩に利用しました。

一般庶民が薪の代用燃料として使用しました。

風呂用や煮炊き用などに火持ちの良い燃石を使いました。

 

1724年、イギリス、ドイツ、ポーランド、ベルギーなどは石炭産業が拡大しました。

農村からの出稼ぎ労働者は、炭坑労働者になっていきました。

子どもから大人まで、家族で奴隷的に炭坑で働かされていました。

炭坑家族が炭坑火災、炭坑浸水、窒息などによって死に至る場合がありました。

しかし、イギリス社会は炭坑家族が落ちこぼれ扱いとして見なされていました。

当時は合法でしたが、最終的に違法になりました。

過酷な労働環境だったので、炭坑事故が頻繁に発生しました。

 

1767年、炭坑所有者は資本力を利用して新聞社に献金しました。

炭坑事故を黙認して新聞記事に取り上げないようにしました。

1780年、発明家として活動していたJames Watt(ジェームズ・ワットです)さんが、

蒸気エンジンの改良で産業革命の原動力に繋がりました。

1837年、イギリスのロンドンは石炭に依存しました。

冬になると、煙がたくさん放出しました。

 

20世紀、石油の採掘技術が発展してアメリカ合衆国、中東地域、インドネシアなどで

大規模な油田が開発されました。

石油が大量に安価で入手できました。

1910年までは、世界の海軍の主要艦艇の燃料は石炭でした。

1914年、イギリスは艦の燃料を石炭から重油に切り替えました。

1920年、世界中の艦の燃料はほとんど全て石油に切り替わりました。

 

第2次世界大戦後、敗戦した日本は疲弊した国内産業を建て直す為に

国策として石炭の増産を実施しました(傾斜生産方式です)。

当時は、火力発電のほとんど石炭を燃料を使用しました。

しかし、1960年から発電用燃料として石油の使用量が増大しました。

2回目のオイルショックを経て、石油の価格競争力が石炭や天然ガスに劣るようになりました。

1980年、原油価格が上昇して発電用ボイラ燃料、工業用ボイラ燃料、

セメント焼成燃料は再び石炭に戻りました。

●オイルショックは、1970年代に2度発生した原油の供給逼迫や原油価格の高騰によって、

世界経済全体が大きな混乱をした総称です。

 

1969年、化石燃料の燃焼とメタンガスの放出の影響が重なって、

太陽の有害な紫外線から地球の生命体を保護しているオゾン層を破壊が目立っていきました。

20世紀は、毎年200万年分の化石化したシダ植物や樹木が消費されました。

自然から石炭を採掘して燃焼させる方法は、排出ガスを放出する大きな原因に繋がりました。

廃棄物を資源化するまで、長い年月が必要です。

現在は、圧倒的に石炭よりも石油が使われています。

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