イタリア軍の戦略について

イタリアは、第1次世界大戦時にインフラ整備が進んでいませんでした。

地政学的に山岳地方が多いからです。

そして、戦車よりも軽量なタンケッテを運用しました。

さらにタンケッテの生産は、本格的な戦車よりも容易です。

製造と維持のコストが安価で済むので、

イタリア陸軍はタンケッテCV3シリーズを量産しました。

歩兵師団や騎兵師団に配置していきました。

当時は、機銃帰射で敵の抵抗を排除目的でした。

目次

イタリア軍の戦略について

イタリア軍は、機甲師団を重視しました。

基本的にイタリア編成は、自走化を想定した仕組みです。

そしてイタリア軍機甲部隊は、軽戦車を中心に北アフリカ地域を侵攻しました。

快速師団や自動車化歩兵師団を配置しましたが、実際は軽戦車とタンケッテが主力です。

 

■イタリア軍の機甲編成

①機甲師団→戦車連隊です。

②機甲師団→機械化ベルサリエリ連隊です。

③機甲師団→機械化砲兵連隊です。

ちなみにベルサリエリ連隊は、自動車化歩兵部隊の1種です。

 

■イタリア軍の快速編成

①快速師団→騎兵連隊です。

②快速師団→ベルサリエリ連隊です。

③快速師団→機械化砲兵連隊です。

イタリアの基本戦略について

1930年代、ドイツ、ソ連、イギリスなどの戦車運用が本格化しました。

イタリア陸軍は、ヨーロッパ諸国に遅れて機甲戦車を整備しました。

1939年、3つのイタリア機甲師団を形成しました。

しかし、タンケッテ以外の中戦車不足によって機甲師団ごとに兵料や装備が異なります。

1940年、イタリアはエジプト(当時はイギリス領です)に侵攻しました。

つまり、北アフリカ戦線です。

 

小規模で砂漠戦と機甲戦に長けたイギリス軍は、イタリア軍に大損害を与えました。

特にタンケッテが主力な機甲部隊は、イギリス軍の歩兵戦車や巡航戦車などに反撃されました。

当時のイタリア軍は、戦車の性能格差によって大きな損失を受けました。

最終的にイタリアは、敗北しました。

 

第2次世界大戦時、イタリア軍は機甲戦に有効な47mm(ミリメートルです)砲を装備した

中戦車と75mm級火砲を積んだ突撃砲の生産を強化しました。

しかし、連合軍の性能格差に追いつける事ができませんでした。

1943年、本格的な戦車を配備する事ができなかった事で休戦に至りました。

つまり、機甲編成よりも戦車装備に問題がありました。

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