ドイツ軍の戦略について
ドイツは、1920年代から極秘で戦車の研究調査に着手しました。
第1次世界大戦に編み出した突撃歩兵(浸透戦術です)と
イギリスで研究された戦車運用理論を合わせた独自の戦車運用理論を考案しました。
つまり、戦車部隊の突破能力、突進能力、速度の速さなどで
敵の中枢を短期間で攻める戦略です。
目次
ドイツ軍の戦略について
ドイツ軍は、電撃戦を重視しました。
第2次世界大戦時は、装甲師団内に戦車以外の兵種の部隊を配置しました。
戦車数が不足していたので、大隊数が装甲師団ごとに異なりました。
他の兵料との協同でヨーロッパ侵略を進めました。
1943年、ドイツ軍は歩兵から擲弾兵に改名しました。
しかし、第2次世界大戦末は戦車や人員が不足して編成が小規模化になっていきました。
■1941年のドイツ軍の編成
①装甲師団→戦車連隊です。
②装甲師団→戦車連隊→戦車大隊です。
③装甲師団→自動車化歩兵連隊です。
④装甲師団→自動車化歩兵連隊→大隊です。
⑤装甲師団→別枠の自動車化歩兵連隊→大隊です。
■1944年のドイツ軍の編成
機械化軍団は戦車師団によって形成したいましたが、戦車旅団による編成に変更しました。
①装甲師団→戦車旅団です。
②装甲師団→別枠の戦車大隊です。
③装甲師団→装甲擲弾兵連隊です。
ドイツの基本戦略について
1939年、ドイツ軍装甲師団は4つの戦車大隊、2つの自動車化歩兵大隊、
1つのオートバイ歩兵大隊を編成しました。
突進力が重要である戦車を重点的に配属しました。
1941年、歩兵が少ない事を気づいて、
2つの戦車大隊、4つの自動車化歩兵大隊に変更しました。
つまり、歩兵が大編になりました。
歩兵による要地占領能力を高める事と戦争の激化で生じた戦車の不足を補う事に繋がりました。
1944年、2つの戦車大隊、2つの自動車化歩兵大隊に変更しました。
戦車部隊と歩兵部隊の比率が1:1になりました。
そしてドイツ装甲師団は、独自システムで必要に応じて、
隷下部隊を組み合わせてカンプグルッペ(戦闘団です)を編成しました。
戦車を主軸として自動車化歩兵を配置したり、装甲歩兵や
自動車化歩兵連隊を主軸に戦車を配置したりします。
●カンプグルッペは、陸軍の複数兵科の戦闘部隊が
連合部隊として単一の部隊として編成したモノです。
自動車化歩兵部隊は、ドイツ軍の思惑で
全部隊がハーフトラックに乗った装甲歩兵にする予定でした。
しかし、実際はハーフトラック数が揃わずにハーフトラックや通常のトラックに搭乗しました。
第2次世界大戦末は、補充が追い付かずに消耗していきました。
装甲師団は、カンプグルッペ化して疲弊していきました。