明治政府の闇について

明治政府は、借金だらけな新政府です。

借金は、お金を借りる事や借りたお金の事です。

つまり、借金は信用性を基盤として成り立っています。

たくさん借金できる事は、返済できる見込みがあるからです。

しかし、何でも借金をすると良い事ではないです。

良い借金と悪い借金があるので、借金に対するイメージが変わります。

目次

明治政府の闇について

1867年、第15代江戸幕府将軍として活動していた徳川慶喜さんが、

朝廷に政権を返還しました(大政奉還です)。

つまり、江戸幕府が滅亡して明治政府が誕生しました。

しかし、明治政府は既に財政難でした。

江戸時代末期、江戸幕府や諸藩が財政面で行き詰まっていました。

実は、大商人の対して多額の借金を抱えていました。

 

ペリー来航後、日本と外国の貿易摩擦が生じました。

つまり、為替相場が変化してインフレ(物価高騰です)が生じました。

日本が貧しくなって、江戸幕府の権力も弱体化していきました。

朝廷は、江戸幕府の信頼性が徐々に不信任になっていく中、

新政府(長州藩、薩摩藩、土佐藩などです)と癒着していきます。

最終的に江戸幕府は、開国によって政権が朝廷に移行していきました。

戊辰戦争について

1868年〜1869年、戊辰戦争が起こりました。

王政復古の大号令(共和政型武家政治を廃して君主政体に復した政治転換です)を経て、

新政府を樹立した薩摩藩(鹿児島県です)・長州藩(山口県です)・

土佐藩(高知県です)を中心とした新政府軍と

奥羽越列藩同盟(東方地方です)・蝦夷共和国(北海道です)を中心とした

旧幕府軍が戦った日本の近代史最大の内戦です。

 

1868年に鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争の初戦です)で勝利した新政府軍は、

横須賀(神奈川県です)にある旧幕府の造船所を接収を目論みました。

そして旧幕府の造船所は、旧幕府がフランス銀行からお金を借りた時の担保になっていました。

しかし、江戸幕府はお金を返していなかったので借金の形として没収されました。

 

当時、明治政府は江戸幕府に代わってフランス銀行にお金を返す事ができました。

新政府自体が誕生したばかりなので金欠でした。

つまり、新政府はイギリス銀行から借り入れをして旧幕府の借金を清算しました。

結果、旧幕府の造船所を入手できました

イギリス銀行は、担保先として神奈川県横浜港の関税収入にしました。

ペリー来航後に開国した事によって、貿易が活発化して金欠を免れました。

給与未払いについて

明治政府の大きな悩みが人件費です。

全国に約45万人の各藩に存在している士族(武士です)を引き継いだからです。

毎月、給与(給料です)を支払い続ける必要があります。

1872年、新政府は突然暦を替えました。

旧暦(太陰暦です)を採用していた日本が、

欧米列強に習って新暦(太陽暦です)に切り替えました。

●太陰暦は、月の満ち欠けを基準とした暦です。

●太陽暦は、地球が太陽の周りを回る周期を基準とした暦です。

 

太陰暦から太陽暦に借り換えると、誤差が生じます。

誤差を修正する為に3年に1度、閏月の年(1年が13ヶ月の年です)がやってきます。

当時は、明治政府の役人が月給制です。

1873年、閏年の年なので明治政府は13回給料を支払わなければなりません。

そして新政府は、1年が12ヶ月で固定している太陽暦を急遽導入しました。

つまり、1873年の給料が12回で済みました。

 

1872年12月03日の旧暦は、新暦の1873年01月01日該当するので、

1872年12月分の月給が無くなりました。

そして1872年12月は、2日しか無いので月給分を支払う事を躊躇いました。

つまり、改暦して2ヶ月分の給料を節約しました。

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