天然痘について
現在は、世界規模の根絶運動によって天然痘が撲滅されつつあります。
そして天然痘は、ウイルス性疾患です。
人類歴史上破壊的な伝染病の1つで有名です。
北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の征服を考えた
ヨーロッパの植民地帝国の主要武器として利用されました。
つまり、天然痘は計画的な生物戦として意図的に拡散しました。
目次
天然痘について
天然痘は、オルソポックスウイルス属の1種である天然痘ウイルスによって
引き起こされる感染力の強い疾患です。
極めて伝染しやすいウイルス性疾患なので、化膿して膿疱になります。
小さな窪みが生じて瘢痕を残します。
重度の場合は、膿疱が繋がって1つの大きな水に変わって身体を覆います。
結果、身体全体が広範囲で出血する事になりました(融合性痘瘡、出血性痘瘡です)。
基本的に天然痘はの死亡率は、約30%(パーセントです)程度です。
しかし、融合性痘瘡や出血性痘瘡はほとんどの確率で死亡します。
天然痘の歴史について
1世紀、南アジア地域や中央アジア地域で群衆疾患が起きました。
群衆疾患は、ウイルスがある群れ(畜牛や畜馬などです)から
別の群れ(都市や村に住んでいる人間です)に飛び移れる病気です。
つまり、人口が集中している場所と家畜の近接近によって生じます。
当時は、不可解な疫病として恐れられていました。
南北アメリカ地域は、大規模な家畜伝統がなかったので疫病の影響が少ないです。
1346年、第12代ジョチ・ウルス当主として活動していたجانى بيك خان,
(ジャーニー・ベクです)さんに率いる攻囲軍が、
タタール人(ヨーロッパ人がモンゴル人に対して呼び名です)に
クリミア半島の都市(カッファです)を攻囲しました。
しかし、黒死病(ペストです)に苦しめられました。
中世時代、攻城兵器を利用して人間の死体や
馬の死体などを攻囲した都市や砦に投げ込みました。
当時は、接触感染を取り扱う生物学が浸透していませんでした。
ペストの影響によって、ジノヴァ商人がカッファから逃げ出しました。
疫病を地中海地方に運んで、ヨーロッパ全土に広がる事になりました。
ヨーロッパ地方の人口の1/3程度が死亡した世界的流行病です。
つまり、タタール人による生物兵器攻撃です。
大航海時代、ヨーロッパ人と最初に接触した日から
南北アメリカ地域の人々が天然痘の影響を受けました。
1521年、コンキスタドールとして活動していたHernán Cortés de Monroy y Pizarro
(エルナン・コルテス・デ・モンロイ・イ・ピサロです)さん率いる攻囲軍が、
アステカ帝国の首都であるテノチティトランを攻めた時、
当時は、先住民が天然痘の流行があったからです。
ちなみにコンキスタドールは、中南米を征服・探検・植民地経営などを行ったスペイン人です。
つまり、スペイン人の征服がきっかけで疫病が発生しました。
スペイン人が荒廃した都市に入った時は、約5万人のアステカ人が死んでいました。
世界的流行病は、中央アメリカ地域と南アメリカ地域の90%程度を滅ぼしました。
1756年〜1763年、フレンチ・インディアン戦争(七年戦争です)が起こりました。
1763年、イギリス軍司令官として活動していたJeffery Amherst
(ジェフリー・アマーストです)さんは、南アメリカ大陸を攻略する事を考えていました。
その後、天然痘病院から持ち出した天然痘が付いている毛布をインディアン人に贈呈する事で、
地元の先住民が数ヶ月程度で天然痘になって壊滅的被害を引き起こしました。
つまり、北アメリカ地域で初めて生物兵器を使用しました。