風船爆弾について
第2次世界大戦時は、日本軍の秘密兵器が風船爆弾でした。
そして敗戦を過った日本軍は、戦術として採用しました。
アメリカ合衆国本土を攻撃する為に気球(風船です)に爆弾を吊り下げました。
さらにジェット気流(偏西風の流れです)を利用して、数日程度かけて飛ばす計画でした。
つまり、当時はアメリカ合衆国の撹乱を狙った秘密兵器です。
目次
風船爆弾について
1944年秋程度〜1945年春程度、日本軍は風船爆弾によって約9000個程度を放ちました。
結果的に数300個程度の風船爆弾が50時間程度でアメリカ合衆国本土に辿り着きました。
実際のアメリカ合衆国側の被害は、山火事、
送電線の故障、原子爆弾製造を3日程度遅らせた事です。
ちなみに当時の風船爆弾の仕組みは、精密な電気装置で爆弾と焼夷弾を投下する構造です。
和紙とこんにゃくのりで作成した気球部に自動的に燃焼する仕様です。
当時は、茨城県つくば市になる高層気象台を通じて、
秋から冬にかけて日本上空を強い偏西風が吹く事を知っていたので、
軍部の要請を受けてから不眠不休で上空の大気の流れを把握しました。
そして日本の上空から北アメリカ大陸の上空に向けて、
冬期に時速200km(キロメートルです)程度の偏西風を確認しました。
風船爆弾でアメリカ合衆国本土を攻撃する計画『ふ号作戦』が計画されました。
そして気球の球皮は、和紙をこんにゃくを
原料とした糊で5層重ねて貼り合わせたモノです。
つまり、大きな手間がかかります。
当時は、精密さも要求されたので張り合わせの作業を
女子学生や女子挺身隊に動員されました。
結果的にこんにゃくは、食用向けに回らずに、おでんに採用する事ができない状況でした。
爆弾気球の構造について
気密性が高い気球に水素を入れて、爆弾を吊るしながら
偏西風でアメリカ合衆国本土に届ける事自体が難関です。
つまり、当時は気球を遠方に届ける為に夜間を乗り切る事が重要でした。
夜になると、上空は気温が低下するので気球が縮みやすくなります。
結果的に浮力が小さくなります。
さらに水素は、少しずつ漏れて行きます。
風船爆弾は、浮力が小さくなったタイミングで自動的に重りを落とす装置を採用しました。
当時は、高度を維持する為に有効でした。
そして気圧計で気圧変化を検知すると、歯者1個分ずつ回転盤が回ります。
一定以上の高度が下がる(気圧が上がる事です)と、電気とスイッチが入ります。
砂の重り(バラスト砂です)の紐を焼き切る事によって、風船爆弾を落とす構造です。
当時のアメリカ合衆国は、風船爆弾から伝染病の細菌が噴射される事を警戒していました。
そしてアメリカ合衆国は、バラスト砂の分析を地政学者に要請しました。
バラスト砂に含まれている鉱物の割合を特定して、
砂の採取地である日本の5ヶ所に絞り込みました。
さらに、偵察機を利用して放流地を探り当てました。
つまり、第2次世界大戦末期は風船爆弾の上昇中に、
ほとんどアメリカ合衆国の戦闘機に撃ち落とされる結果になりました。
