ビールの歴史について

5000年以上前、エジプト文明やメソポタミア文明の記録からビールが登場しました。

ヨーロッパ各地で広がったビールは、産業の発展や飲み方が変化していきました。

そして、世界最古の文学作品である英雄叙事詩『ギルガメシュ叙事詩』に

ビールに関する記述があります(紀元前2100年の古代メソポタミア文学作品です)。

さらに古代エジプト文明の壁画には、ビール造りや宴会の様子などが描かれています。

身近な飲み物として気軽にビールが飲まれていました。

ちなみに、当時から飲みすぎ注意喚起する言葉も残されています。

目次

ビールの歴史について

ビールは、麦系のアルコール飲料品です。

 

古代エジプト時代(紀元前3000年前です)、ナルメル王がナイル川下流域を支配していました。

当時のビールは、嗜好品や薬などに利用されていました。

さらに、神や死者への供物としても使用されていました。

濁りがあって、泡立ていないビールです。

古王国時代のビールは、白ワイン風の酸味と適度な苦みがあります(しまった味です)。

新王朝時代のビールは、ヨーグルト風の濁りと酸味が強いです(濃厚です)。

 

ピラミッド(太陽神の象徴です)建設に従事していた人は、奴隷ではなく農民や職人です。

基本的にピラミッド建設は、王の権力の誇示と雇用を生み出す公共事業の役割もありました。

そしてピラミッド造りの周辺地域は、ビール醸造がありました。

労働者は、ビールを配給されていました(栄養価が高く、気分を高揚しやすいです)。

つまり、肉体労働者にとっては食欲増進や疲労回復などの欠かせない飲み物でした。

ビールと日本について

西暦 主な内容
1613年 長崎の平戸に入港したイギリス船であるクローブ号の積荷の中にビールがありました。
1724年 書物『和蘭問答』で日本人が書いたビールの味に関する記録がありました。
蘭学者として活動していた大槻玄沢さんの書物『蘭説弁惑』でビールを紹介しました。
1812年 オランダ商館長であるヘンドリック・ドゥーフさんが国内初のビール醸造を試みました。
1836年 蘭学者として活動していた高野長英さんが書物『救荒二物考』で翻訳書以外で初めてビールの醸造法を記しました。
1853年 蘭学者として活動していた川本幸民さんが日本人初のビール醸造をしました。
1854年 ペリーが来航して日米和親条約の終結祝いとして船上パーティでビールがありました。
1861年 週刊英字新聞『ザ・ジャパン・ヘラルド』に船来ビールの広告が掲載されました。
1862年 日本初の牛鍋屋『伊勢熊』が開店してビールも提供されました。
1867年 蘭学者として活動していた福沢諭吉さんが書物『西洋衣食住』でビールに関する内容が掲載しました。
1869年 山手46地に日本初のビール醸造所であるジャパン・ブルワリーを開設しました。
1871年 西洋料理店『南海亭』の引札に日本語で書かれたビールの価格として最古の記録です。
1872年 実業家として活動していた渋谷庄三郎さんが渋谷ビールを発売しました(日本人によるビール醸造販売として初めてです)。
岩倉使節団がイギリスでビール工場を視察しました。
1875年 山手123番地にあるビール醸造所『スプリングバレー・ブルワリー』で日本初のビアガーデンが開催しました。
1876年 開拓使麦酒醸造所が開業しました。
1877年 札幌ビールを販売しました。
1878年 実業家として活動していた金沢三右衛門さんが酔酵社を設立しました。
1879年 酔酵社が桜田ビールを販売しました。
1885年 ジャパン・ブルワリー・カンパニーが設立しました。
実業家として活動していた浅田甚右衛門さんが浅田ビールを販売しました。
1887年 日本麦酒醸造会社が設立しました。
1888年 ジャパン・ブルワリー・カンパニーがキリンビールを販売しました。
1889年 大阪麦酒会社が設立しました。
丸三麦酒醸造所が丸三ビールを販売しました。
駅の待合室に広告出稿が可能になった事で、キリンビールがポスター広告を掲載しました。
1890年 第3回内国勧業博覧会でビールが出品されました。
日本麦酒醸造会社が恵比寿ビールを販売しました。
1892年 大阪麦酒会社がアサヒビールを販売しました。
1895年 大阪麦酒会社が一杯売り『ビール会』を開催しました。
1899年 日本初のビアホール『恵比寿ビアホール』が開店しました。
ジャパン・ブルワリー・カンパニーが生ビールが販売しました。
1900年 東京麦酒が国内初の王冠栓付きビールを販売しました。
1901年 明治政府がビールに対して国内初の麦酒税を導入しました。
1906年 日本麦酒と札幌麦酒と大阪麦酒が合併して大日本麦酒株式会社が設立しました。
1907年 ジャパン・ブルワリー・カンパニーから引き継いで麒麟麦酒株式会社が設立されました。
1912年 帝国麦酒株式会社が設立しました。
1913年 帝国麦酒株式会社がサクラビールを販売しました。
1917年 大日本麦酒が青島ビールを販売しました。
1921年 日本麦酒鉱泉株式会社が設立しました。
1922年 日本麦酒鉱泉株式会社がユニオンビールを販売しました。
1929年 寿屋が新カスケードビールを販売しました。
1930年 寿屋がオラガビールを販売しました。
1933年 麒麟麦酒と大日本麦酒が麦酒共同販売株式会社を設立しました。
1936年 詩人として活動していた高村光太郎さんが随筆『ビールの味』を発表しました。
1937年 日本初の生ビール中心の全館飲食店のビル『ニユー・トーキョー』が完成しました。
1939年 ビールが統制価格になりました。
ビールの生産量が173万4435石を記録しました(戦前ピーク記録を超えました)。
1940年 麦酒税法を廃止して酒税法が制定しました。
家庭向けビールの配給が始まりました。
1943年 ビールの銘柄別商標を停止しました。
ラベルが『麦酒』に統一されました。
1944年 ビールの大瓶の容量が633㎖(ミリリットルです)に統一されました。
公営酒場である国民酒場が誕生しました(1人当たり日本酒が1合やビール1本を販売しました)。
1949年 全国の飲食店営業再開が許可されしました。
ビールの自由販売と商標が再開しました。
大日本麦酒が朝日麦酒と日本麦酒に分割されました。
1950年 ビール各社が黒ビールを復活販売しました。
1953年 ビールの年間生産量が1939年のピーク時を超えました。
ビールが一般家庭に普及し始めていきました。
国内初の屋上ビアガーデン『ニユー・トーキヨービアガーデン』が開店しました。
1955年 ビール各社が労働組合によるストライキで生ビール不足になりしました。
1957年 宝酒造がタカラビールしました。
ビール各社が容量500㎖の中瓶ビールが販売されました。
1958年 日本初の缶ビールが販売しました。
1959年 ビールの消費量が初めて清酒を超えました。
1960年 ビールの公定価格が撤廃されました。
基準販売価格制度に移行しました。
当初の小売基準価格は、大瓶1本125円です。
1962年 缶ビールの自動販売機が登場しました。
1963年 サントリーがサントリービールを販売しました。
1965年 ビール各社がプルトップ缶ビールを販売しました。
缶切りが必要なしになりました。
1967年 リングプルトップの缶ビールが販売しました。
1969年 ビールギフト券が販売しました。
1971年 アルミ缶入りの缶ビールが販売しました。
サッポロビールがヱビスビールを復活販売しました。
1972年 500㎖入りのロング缶ビールが販売しました。
1975年 自動販売機による酒類の夜間販売が開始されました(23時~5時です)。
1980年 居酒屋ブームが到来しました。
1984年 焼酎ブームでビール離れが起きました。
1987年 朝日麦酒がスーパードライを販売しました。
1989年 酒類販売業免許等取扱要領が改正しました。
スーパーやディスカウント店などで安価のビールが販売しました。
1990年 キリンビールがキリン一番搾り〈生〉ビールを販売しました。
1994年 酒税法が改正しました(ビール製造免許基準が引き下げられました)。
サントリーが発泡酒であるホップス〈生〉を販売しました。
ビールの国内出荷量が史上最高記録を突破しました。
1995年 上原酒造が全国初の地ビールであるエチゴビールを販売しました。
1996年 上蓋に点字で表記した缶ビールが登場しました。
1998年 キリンビールが発泡酒である麒麟淡麗〈生〉を販売しました。
2003年 サッポロビールがドラフトワンを販売しました。
2005年 キリンビールがキリンののどごし〈生〉を販売しました。
2009年 ノンアルコールビールテイスト飲料品が発売しました。

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