重商主義について

イギリス貿易商人として活動していたSir Thomas Gresham

(トーマス・グレシャムです)さんは、重商主義者の有名人です。

王室金融管理人として務めていた時、

イギリスの通貨価値が他国の通貨価値に比べて低い状態でした。

当時は、イギリスが改鋳によって通貨の品質を落としていたからです。

通貨の品質を元に戻す事をテューダー朝第5代王朝として活動していた

Elizabeth I(エリザベス1世です)さんに進言しました。

つまり、グレシャムの法則が誕生しました。

同じ額面の品質の良い貨幣と悪い貨幣が出回る事で、人間が品質の良い貨幣を

手元に置いておこうとするので悪い貨幣がよく流通するようになる事です。

目次

重商主義について

重商主義は、貴金属の流入を増加したり、貿易収支を黒字にしたりする事で

国府の増大を目指した貿易統制を行う考え方です。

主に金本位制の経済学の1つです。

 

Sir Thomas Greshamさんは、1551年にテューダー朝イングランド王として活動していた

Edward VI(エドワード6世です)さんによって、王室金融代理人に任命されました。

基本的に王室の海外負債管理の任務を託されました。

1566年、イギリスのロンドンに為替取引所(王立取引所です)を設立しました。

アントウェルペンの取引所で金融操作手腕を発揮しました。

負債のほとんどを清算した事で、1559年にElizabeth Iからナイトの称号を授与されました。

重商主義の歴史について

大航海時代、世界的な貿易が本格化しました。

16世紀〜18世紀、ヨーロッパの絶対王政時代の国々で国王や君主が権力を振いました。

つまり、官僚組織や軍隊整備が必要な時代です。

しかし、莫大な費用が発生するので維持する事が難しいです。

莫大な資金を補う為に国富を増大する事が求められました。

その後、重商主義の考え方が芽生えました。

重金主義について

金銀などの貴金属を国の富として保有量を増加する考え方です。

スペイン、ポルトガルが採用しました。

そして、植民地の鉱山開発を通じてヨーロッパ諸国に莫大な金銀がもたらされました。

 

しかし、国内の貴金属を増やす事が目的だったので為替相場が制限しました。

つまり、大きな利益を得やすい投資先でした。

当時は、貴金属の輸出が認められませんでした。

その後、国内の金銀が増加して通貨の価値が下落しました。

物価が高騰して国産産業を育成する為に貿易差額主義が誕生しました。

貿易差額主義について

貿易差額主義は、貿易収支を黒字にして外貨を稼ぐ考え方です。

イギリス、フランスが採用しました。

輸入制限、輸出の助成などの国産産業の保護や育成を始めました。

 

重商主義政策は、産業を大きく発展しました。

しかし、政府による産業保護や輸入制限は、自由競争による経済の発展を阻害しました。

18世紀末、重商主義から重農主義へ移行していきました。

商品経済から資本主義経済へ移行していく大きなきっかけになりました。

19世紀、イギリスの産業革命に繋がりました。

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