バリスタについて

ローマ軍は、人力を超える武器を模索していました。

そして、破壊的な投射武器を使用して鉄の先端が付いている

巨大な太矢(ボルトです)や重い石を尋常じゃない速度で投げつけました。

都市の防壁を打ち破り、兵士を選んで正確に鎧を貫通させました。

ちなみにバリスタは、古代ギリシャ人が発明しました(巨大なクロスボウに似た構造です)。

目次

バリスタについて

バリスタは、投石機です。

古代の投射兵器で有名です。

 

張力の原理を採用しました。

弓の弦を引くと、太い木製の腕形機(アームです)が曲がるようになっています。

弦を放すと、アームが跳ね返って元の位置に戻ります。

弦が前方に引っ張られてボルトや重い石が破壊的な速度に加速します。

バリスタの歴史について

紀元前397年〜紀元前392年、イタリアのシチリア島でシケリア戦争が起こりました。

シケリア戦争は、シュラクサイ人とフェニキア人の戦争です。

フェニキア人の国家であるカルタゴを争いました。

ギリシア人の僭主として活動していたΔιονύσιος ο Πρεσβύτερος

(ディオニュシオス1世です)さんがシュラクサイ(都市です)を征服しました。

そして、シケリア戦争でバリスタを使用しました。

火矢を攻囲した都市に打ち込んで、防壁を破壊しました。

 

紀元前264年~紀元前146年、ボエニ戦争が起きました。

イタリアのローマ人がギリシャの植民地で武力衝突です。

ちなみにボエニ戦争は、共和政ローマ(古代ローマです)とカルタゴとの間で

地中海の覇権を賭けて争われた一連の戦争です。

抵抗力がある弾性材料を捻ねじる事でエネルギーが蓄えられます。

ねじりが解けると、放出される仕組みでした。

当時は、弾性材料が動物の腱でした。

具体例は、カタパルト、オナゲル(野生ロバです)などです。

 

ローマのバリスタは、2本のアームから成り立っています。

各アームは、かせ状に巻いた腱コードをねじって中に埋め込みます。

初めに弓の弦をレバーで後ろに引きます(歯止めで固定します)。

ボルトを溝にはめ込む場合や石をはめ込む場合があります。

そして周囲は、木と金属の複雑なフレームが配置しています。

さらに1kg(キログラムです)のボルトを274m(メートルです)以上飛ばす事ができます。

大型の場合は、4.5kmで411m以上です。

 

紀元前43年、イギリスにあるメイデン・キャッスルで

ローマ帝国第4代皇帝として活動していたTiberius Claudius Nero Caesar Drusus

(ティベリウス・クラウディウス・ネロ・カエサル・ドルススです)さん率いるローマ軍と

古代ブリトン人が戦争しました。

しかし、バリスタのボルトが古代ブリトン人に撃ち込まれました。

結界、ローマ軍がブリタンニア南部を征服しました。

つまり、バリスタは命中制度が高いです。

兵士1人1人を遠くから狙う事ができました。

その後、ローマ人はバリスタを応用して様々な武器を生産しました。

 

2人で操作する小型バリスタのスコルピオを生産しました。

大きな矢に似たボルトや1.3kgの石を投射できます。

荷車に乗せたり、車輪を取り付けて移動式の投射武器として活躍しました。

紀元2世紀、全て金属製でできた骨組みを完成しました。

耐久性、威力が大幅に向上して遮られるモノが少なく目標物を見る事ができました。

つまり、ギリシャの原型を応用してローマ人は新兵器を製作しました。

 

ローマ人は、機術投射武器部門で重量がある攻城兵器から

移動式の戦場武器まで対応しました。

歩兵部隊に対して支援ができるので、現代の砲兵戦術を先取りしていました。

つまり、重爆機や制圧射撃などの様々な戦いに対策できます。

ちなみにローマ軍団(レギオンです)のスコルピオは、

最大毎分240発のボルトを連続発射できます。

射程距離は、100m程度〜400m程度です。

高水準な命中精度を確立しました。

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