歌手の田原俊彦さんが還暦記念写真集発売記念イベント【DOCUMENTARY】

2022年01月28日、ジャニーズグループ『たのきんトリオ』に所属していたと田原俊彦さんは、

サード写真集『DOCUMENTARY』発売記念イベントを開催しました。

そして田原俊彦さんは、第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞、

第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞しました。

さらに妻は、モデルとして活動していた向井田彩子さん、

長女はタレントとして活動している田原可南子さんです。

ちなみにたのきんトリオは、田原俊彦さん、

近藤真彦さん、野村義男さんによるジャニーズグループです。

目次

歌手の田原俊彦さんが還暦記念写真集発売記念イベントについて

DOCUMENTARYは、2022年01月28日に発売した写真集です。

撮影場所は、和歌山県です。

 

田原俊彦さんは、『まさか自分がね、こんな年齢になるまでジ・アイドルを継続してやっている

とは想像できなかった、今も現役バリバリ、辛い事、苦しい事もあったけど、ファミリーが

支えてくれた、実感はなくて、1つの通過点として写真集で、現在の田原俊彦の等身大の姿を

皆さんで記憶に残してくれたら嬉しい、本当に重厚感のある色んな田原俊彦を表現できて、

納得しています、哀愁でいとでデビューしてから43年目に突入するんですね、色々な時代が

ありましたが、今もファンの皆さんと交流ができて嬉しいです、全然ストイックじゃないん

ですけど、朝5時半に起きてカロリーバランスの摂れた食事と練習をする事ぐらいですかね、

後はストレッチ、たまに腕立て伏せや腹筋をします、本作りのきっかけは、若い頃に何度も

お世話になった宿敵フライデーチームからのお誘いだったの・・・、こっちは何人モノ女友達と

疎遠になって散々な目に遭ったっていうのに、よくもまぁ・・・って思ったよね(笑)、でも、

これも何かの縁かと思ってタッグを組んでみたら、とんでもないモノができちゃった、

印刷や装丁にもこだわったからちょっと強気の価格設定だけど、それだけの価値があるって

自信はある、プライベートの自分は食べるのも飲むのも大好きだし、頭の中は女の子の事しか

考えていない(笑)、でも、42年間田原俊彦って職業を続ける為の努力は欠かさなかったよ、

トレーニングはもちろん、どんな時でも人に見られているって意識を持って生きてきたと

思ってる、だからこの状態が普通なんだよね、多分、朝起きてコーヒー飲む時ですら姿勢

イイんじゃない?、15歳でジャニーさんに見出してもらって、そこから紆余曲折あって色んな

事を経験してきたけれど、その積み重ねが今に繋がっていると思う、そして嬉しい時も

辛い時も、1番の支えになってくれたのはファミリーの存在、そんなファミリーの為に、

いくつになっても「トシちゃんスゴイ!」って言われるように頑張りたいし、夢や希望を

与え続ける存在でありたいですね、って、ちょっと良い事言っちゃったー、まだまだ攻めます、

歌って踊ってファミリーの為に今年も明るく楽しくハッピーにやっていきたいです、最後に

これだけは言わせて、この写真集は本当に自信作だから、観賞用、保存用と最低2冊は手にして

もらいたい、そして余裕があれば布教用も是非ね(笑)』というコメントを寄せました。

 

私は、ハングリー精神が時間を味方にできると思いました。

田原俊彦さんは、40年以上に渡って歌手及びタレントとして

第一線で活躍し続ける永遠のアイドルで有名です。

幼少期時代、父親を亡くして4人の子供を抱えた母子家庭の生活は貧しい状態でした。

しかし、芸能界に対する強い憧れがありました。

中学生時代、貧しい生活から早く抜け出して一家を楽にさせる為には、

芸能人になって成功する以外に道はないと決意しました。

 

ちなみに田原俊彦さんは、1976年に株式会社ジャニーズ事務所向けの履歴書を送りました。

その後、事前連絡する事なく東京都内にある株式会社ジャニーズ事務所を直接訪問しました。

実業家として活動していたジャニー喜多川さんと直談判の末、入門を認められました。

株式会社ジャニーズ事務所に加入しました。

高校生時代、事務所のレッスンのため週末ごとに甲府市と東京の間を電車で往復する生活を続けた後

1979年、高校卒業して正式に上京しました。

バックコーラス&ダンスグループ『ピラミッド』を結成しました。

1979年、学園テレビドラマ『3年B組金八先生』の沢村正治役を担当しました。

ジャニーズグループ『たのきんトリオ』に加入しました。

当時は、人気は凄まじく全国から送られてくるファンレターの数が最高月18万通を達しました。

1980年、シングル曲『哀愁でいと (NEW YORK CITY NIGHTSです)』

で歌手デビューを果たしました。

1980年〜1986年、大型音楽特別番組『NHK紅白歌合戦』で7年連続出場しました。

1982年、ブロマイド年間売上実績の男性部門で第1位を受賞しました。

1987年、テレビドラマシリーズ『びんびんシリーズ』の徳川龍之介役を担当しました。

1988年、テレビドラマ『金太十番勝負!』の東金太役を担当しました。

1989年、テレビドラマ『俺たちの時代』の柴田竜夫役を担当しました。

1990年、テレビドラマ『日本一のカッ飛び男』の倉田健人役を担当しました。

1991年、個人事務所『DOUBLE "T" PROJECT』を設立しました。

1992年、テレビドラマ『逃亡者』の加山英治役を担当しました。

1993年、テレビドラマ『愛してるよ!』の伊達真介役を担当しました。

1994年、株式会社ジャニーズ事務所を卒業しました。

長女が誕生しました。

独立後は、ジャニーズの後輩たちとの共演はほとんど不可能になりました。

1996年、個人事務所『DOUBLE "T" PROJECT』が倒産しました。

テレビ業界からは完全に干されて、タレントとしても長らく不遇な時期が続きました。

その後、毎年コンサートツアーやディナーショーを全国各地で行って、

地道な努力を辛抱強く積み重ねてマスコミの注目を集めるようになりました。

2006年〜2016年、インターネットラジオ番組

『田原俊彦DOUBLE"T"リラックスタイム』を開始しました。

2017年、シングル曲『フェミニスト』を公開しました。

2006年以来11年ぶりのメジャー復帰しました。

田原俊彦さんについて

【参考画像】

項目 主な内容
氏名 田原俊彦
生年月日 1961年02月28日
年齢 60歳です。
職業 歌手、アイドル、タレント、俳優、元ギャングスメンバー、元ピラミッドメンバー、
元たのきんトリオメンバー、元サンデーズメンバーなどです。
出身地 山梨県
所属先 株式会社ジェイブレイブ

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