ソ連軍の戦略について

1940年、ソ連は2つの戦車連隊と1つの自動車化狙撃兵連隊を構成しました。

当時は、戦車と歩兵で2:1の比率で戦車旅団を形成しました。

つまり、戦車や兵員の不足が目立っていました。

しかし、1941年に人類史上最大の軍事作戦である

バルバロッサ作戦でドイツ軍がソ連に侵攻しました。

多くの戦車師団が破壊されて、戦車と兵員が多く失われました。

ちなみに狙撃兵は、ソ連軍の歩兵部隊です。

目次

ソ連軍の戦略について

ソ連軍は、戦車部隊よりも小規模旅団を重視しました。

機械化軍団を編成して、戦車師団と機械化歩兵師団を配置しました。

優秀な仕組みでしたが、ドイツ軍の侵攻によってほとんどの部隊が破壊されました。

バルバロッサ作戦で部隊の再編が求められました。

 

■1940年の機械化軍団

①機械化軍団→戦車師団です。

②機械化軍団→戦車師団→戦車連隊です。

③機械化軍団→戦車師団→自動車化狙撃兵連隊です。

④機械化軍団→別枠の戦車師団です。

⑤機械化軍団→自動車化狙撃兵連隊です。

 

■1942年の機械化軍団【変更前】

機械化軍団は戦車師団によって形成したいましたが、戦車旅団による編成に変更しました。

①機械化軍団→戦車旅団です。

②機械化軍団→別枠の戦車旅団です。

③機械化軍団→別枠の戦車旅団です。

④機械化軍団→自動車化狙撃兵旅団です。

 

■1942年の機械化軍団【変更後】

①戦車旅団→第1大隊です。

②戦車旅団→第1大隊→中隊です。

③戦車旅団→第1大隊→自動車化狙撃兵中隊です。

④戦車旅団→第2大隊→中隊です。

⑤戦車旅団→第1大隊→自動車化狙撃兵大隊です。

ソ連の基本戦略について

ドイツ軍の侵攻後は、旧戦車や新戦車を部隊化して前線に送る必要がありました。

小規模な戦車旅団を編成していく事で小回りさを重視しました。

2つの戦車大隊と1つの自動車化狙撃兵大隊を基盤にしました。

対戦車砲中隊や対戦車ライフル中隊を含めました。

当時のソ連陸軍の規模は、他国と比較すると劣っていました。

装備している戦車数は、ドイツ軍の戦車連隊の1/2程度です。

 

連合国のアメリカ合衆国や連合国のイギリスからレンドリース兵器が大量に仕入れました。

その後、徐々に戦車旅団の装備戦車数が増加してドイツ軍の戦局が好転していきました。

しかし、自動車化狙撃兵部隊は各種輸送車両が圧倒的に不足していました。

そして戦車旅団の自動車化狙撃兵部隊の将兵は、

同じ戦車旅団内の戦車大隊の戦車に乗員しました。

つまり、輸送車両の欠格を補強しました(タンクデサントです)。

●レンドリース法は、アメリカ合衆国が1941年〜1945年にかけて、

イギリス、ソビエト連邦、中華民国、フランス、その他の連合国に対して、

膨大な量の軍需物資を供給する法律です。

●タンクデサントは、戦車にまたがって移動したり、戦闘に参加する歩兵の戦術です。

 

歩戦協同が戦車と歩兵が常に行動を共にして、輸送車両を節約する事が可能になりました。

しかし、戦車内で耐えられる敵軍の銃撃や砲撃などを

捨てた事によって犠牲が大きくなりました。

1942年、戦車軍団を3つの戦車旅団と1つの自動車化狙撃兵旅団に変更しました。

当時は、ドイツ軍の装甲師団よりも小規模でした。

第2次世界大戦の影響で戦車軍団の規模が拡大しました。

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