産業競争力強化法について
2012年12月26日〜2020年09月16日、第2次安倍晋三内閣が行われました。
そして2014年01月01日、産業競争力強化法が施行しました。
さらに第98代内閣総理大臣として活動していた安倍晋三さんは、
アベノミクス(経済政策です)を掲げて、
3本の矢(金融政策、財政政策、成長戦略です)を実行しました。
結果、金融緩和と財政出動が一定数の成果を達成しました。
しかし、最も重要な成長戦略が想定内の成果を達成できませんでした。
目次
産業競争力強化法について
産業競争力強化法は、産業競争力の強化に関する施策として
産業活動の新陳代謝を促進する為の措置を行う法律です。
別名は、産競法です。
供給過剰に陥っている業界は、政府が商品・サービスの市場動向を調査します。
事業統合やM&A(企業買収や企業合併です)が必要であると認識がある場合は、
業界再編を促す条項です。
そして産業競争力強化法50条の第1号は、石油精製業です。
さらに産業競争力強化法50条の第2号は、石油化学産業です。
石油化学産業の市場構造について
①アメリカ合衆国
2013年、シェールガス革命が起こりました。
原料安によって、アメリカ化学工業の国際競争力が強化しました。
日本の石油化学関連企業が打撃を受けました。
②中華人民共和国
中国は、石油化学製品の輸入を強化していました。
しかし、経済成長の衰退によって、輸出強化に転換しました。
つまり、石油化学製品の市況を悪化しました。
日本の石油化学関連企業が打撃を受けました。
石油化学産業について
2014年11月、経済産業省は、石油化学産業の市場構造に関する調査報告を実施しました。
つまり、日本の石油化学製品生産量の減少の恐れです。
①シェール革命によるアメリカ合衆国の基礎化学品生産コストの低下です。
北米地域から中国への化学製品品輸出量の拡大→日本から中国への化学製品輸出量の減少です。
②中華人民共和国の化学製品の生産拡大です。
中国の石油化学製品輸入量の減少→日本から中国への化学製品輸出量の減少です。
③中東地域の基礎化学産業への投資拡大です。
中東地域から中国への化学製品輸出量の拡大→日本から中国への化学製品輸出量の減少です。
④中華人民共和国の化学品需要の減退です。
中国の石油化学製品輸入量の減少→日本から中国への化学製品輸出量の減少です。
⑤日本の製造拠点の国内需要の減退です。
日本の石油化学製品販売量の減少→日本の内需減少です。
産業競争法の結果について
1955年、通商産業省(経済産業省です)が石油化学工業育成対策を実施しました。
日本のエチレン生産量は、1973年に年産400万t(トンです)を達成しました。
つまり、石油化学工業国産化の政策目標を達成しました。
ちなみにエチレンは、C₂H₄の二重結合で結ばれた炭素2個を持つ炭化水素です。
1970年代、石油危機が生じて一時的にエチレン生産量が減少に転じました。
1980年代、円高不況が生じて一時的にエチレン生産量が減少に転じました。
1990年代、バブル崩壊が生じて一時的にエチレン生産量が減少に転じました。
1999年、エチレン生産量が年産773万9000tを達成しました(ピーク時です)。
2008年以降、リーマン・ショックが生じてエチレン生産量が年産600万t程度に推移しました。
2019年、エチレン生産量が年産641万8000tです。
2014年〜2016年、産業競争力強化法が施行して
日本で3基のエチレン製造装置が運転停止しました。
稼働基数は、15基から12基になりました。
計生産能力は、年産721万tから年産616万tに縮小しました。
しかし、エチレン生産量は、2013年〜2016年の間に年産600万t程度を維持しました。
つまり、エチレン製造設備の平均稼働率は、
2013年が85.4%(パーセントです)、2016年が96.2%です。
現在は、経済産業省が示した最悪のシナリオが起きていません。
しかし、日本の国際競争力は徐々に低下しています。