アメリカ軍の戦略について
1920年、アメリカ合衆国で国防法が制定しました。
戦車が歩兵科の兵器として認識されました。
つまり、戦闘車として車両を騎兵科が開発して装備していきました。
1939年、第2次世界大戦が始まりました。
ドイツ軍がポーランドに侵攻した事によって、ドイツ装甲部隊の活躍を知った
アメリカ軍は、1940年に全ての機甲部隊を統括する機甲科を結成しました。
ちなみに機甲科は、機甲軍司部です(アメリカ合衆国初の機甲師団です)。
目次
アメリカ軍の戦略について
アメリカ軍は、戦闘団を重視しました。
戦闘団を導入する事によって、機甲師団の柔軟性が向上しました。
具体例は、A機甲戦闘団司令部です。
A機甲戦闘団司令部に1つの機甲師団の戦車連隊と3つの戦車歩兵大隊である
機甲歩兵連隊から1つの機甲歩兵大隊を移動できます。
さらにB機甲戦闘団司令部に1つの機甲師団の戦車連隊と2つの戦車歩兵大隊を移動できます。
つまり、2つの戦闘団を形成できます。
■1940年のアメリカ軍の組織図
戦車連隊は、3大将に分かれています。
①機甲師団>機甲旅団です。
②機甲師団>機甲旅団>戦車連隊です。
③機甲師団>機甲保系連隊です(装甲化したハーフトラックを完全配備しました)。
■1942年のアメリカ軍の組織図
①機甲師団>A機甲戦闘団司令部です。
②機甲師団>B機甲戦闘団司令部です。
③機甲師団>戦車連隊です。
④機甲師団>機甲歩兵連隊です。
⑤機甲師団>機甲歩兵連隊>機甲歩兵大隊です。
●A機甲戦闘団司令部
①A機甲戦闘団司令部>戦車連隊です。
②A機甲戦闘団司令部>戦車歩兵大隊です。
●B機甲戦闘団司令部
①B機甲戦闘団司令部>戦車連隊です。
②B機甲戦闘団司令部>戦車歩兵大隊です。
アメリカ合衆国の基本戦略について
ドイツの機甲師団の編成を教訓として、保線協同の重要性を維持しました。
1940年のアメリカ軍の機甲師団は、戦車大隊が9つです。
しかし、機甲歩兵大タ隊が2つです。
当時は、ドイツ軍よりも戦車を主軸にしました。
機甲部隊の歩兵全員は、トラックではなく、機甲化したハーフトラックで移動しました。
つまり、機甲師団下の野砲と高射の両部隊を完全自走化に達成しました。
1941年のアメリカ軍の機甲師団は、戦車大隊が9つです。
そして、機甲歩兵大隊が3つです。
当時は、機甲歩兵が不足していたので1つ機甲歩兵大隊を追加しました。
1942年のアメリカ軍の機甲師団は、画期的なアイデアを実現しました。
機甲師団傘下に2つの機甲戦闘団司令部を配置しました。
機甲師団内の部隊を2分割して運用する事が可能になりました。
1943年のアメリカ軍の機甲師団は、戦車と機甲歩兵の連隊を廃止しました。
戦車大隊が3つです。
そして、機甲歩兵大隊が3つです。
さらにA機甲戦闘団司令部、B機甲戦闘団司令部、R機甲戦闘団司令部に
両者が1つの機甲歩兵大隊を配置しました。