長弓について

単純な武器がヨーロッパの戦場を変えました。

長弓は、単弓を応用したモノです。

人間の背丈以上の長さで、断面が奥行きと幅の割合3:1のD字形をした弓です。

つまり、騎馬騎士の優勢に大きな影響力を及ぼしました。

そして弓は、1本材の木材や竹で作られた単構造弓が主流でした。

その後、弓の威力を増す目的で長弓が誕生しました。

目次

長弓について

長弓は、弓幹の長さが長大な弓です。

 

基本的にイチイの長い側板から製造します。

弓の背側が弾性がある辺材、弓の腹側が密度の高い心材です。

先細にした後、軽い軽い亜麻系を巻きつけた麻を張ります。

重たいボドキン(矢じりが付いた1m程度の長さの矢です)を射る事ができます。

つまり、200m以上離れた場所から鎖帷子を貫通して馬に攻撃できます。

現代のコルトリヴォルヴァー(回転式挙銃です)の約1/3の威力です。

 

長弓の弱点は、弓を操作するのに必要な力と技能を身につける事が大切です。

イングランド(イギリスです)は、法令を駆使して

男性にロングボウを訓練するように義務付けしました。

年収100ペンス(1ポンド=100ペンスです)以下の

男性全員にロングボウの所有を命じました。

当時のロングボウは、下層階級の人々の武器として認識されていました。

長弓の歴史について

12世紀、ロングボウ(長弓です)はイングランドと

ウェールズ(イギリスです)の境界地帯で発達しました。

ウェールズ人長弓兵は、重要な武器として重宝しました。

当時の長弓は、1.8m(メートルです)を超える弓です。

テューダー王朝時代(イングランド王国1485年〜1603年です)、

メアリー・ローズ(テューダー朝第2代イングランド王として活動していたヘンリー8世時代に

使用した軍艦です)の残骸から回収されたロングボウは、長さが1.87m程度〜2.11m程度です。

 

メアリー・ローズの弓は、引くのに必要な力が150ポンド程度〜160ポンド程度

(667N程度〜712N程度です)です。

射程距離は、329m程度です。

 

1188年、ウェールズ人と戦って、イングランド騎士として活動していた

William de Broads(ウィリアム・ド・ブローズです)さんは、

ロングボウから放れた1本の矢が自身の鎖帷子と衣服を突き破りました。

さらに、乗っていた馬も貫きました。

つまり、ロングボウはクロスボウの12倍以上の優れた発射速度があります。

熟練者の場合は、アメリカ独立戦争で使用したマスカット銃を凌ぐ命中率です。

 

13世紀後期〜15世紀、弓術を義務付けした事によって、

他のスポーツをする事が禁止されました(特にフットボールです)。

プランタジネット朝イングランド王として活動していたEdward II(エドワード2世です)

さんの時代からヨーク朝イングランド国王として活動していたEdward IV

(エドワード4世です)さんの時代まで続きました。

 

1337年、フランドルの戦い(百年戦争です)で

イングランド貴族の伯爵位として活動していたEarl of Derby(ダービー伯爵です)さんは、

長弓隊を使用して岸壁を撃退しました。

イングランド軍は、上陸と同時に矢によって、退却を余儀なくされました。

 

プランタジネット朝イングランド王として活動していたEdward III(エドワード3世です)

さんが、ロングボウの重要性に気がつきました。

1346年、クレシーの戦い(百年戦争です)で活躍しました。

当時のフランス軍の兵力は、イングランド軍の2倍以上です。

そしてイングランド軍は、1000名の優秀な弓の射手がいました。

さらにイングランド軍の射手は、高速矢でジェノヴァ人(フランス軍です)に反撃しました。

結果、敗走するジェノヴァ人は前進するフランス軍騎士の進路を塞ぎました。

多くの味方が犠牲になった後もイングランド軍は優勢を維持しました。

 

1415年、2万軍を超えるフランス軍が、8000程度のイングランド軍の射手に敗北しました。

イングランド軍は、毎分最大12本の矢を発射できたからです。

そして、1分間で3万本の矢がフランス軍の前列を打ち込みました。

糠緩んだ地面と尖った杭の遮がフランス軍の機動力を低下しました。

つまり、Edward IIIさんの戦術が成功しました(歩兵による射手の支援です)。

歩兵が射手を防護して、長弓隊が任務を遂行します。

敵前線と交戦して騎士を落馬させて敵陣を圧縮化に繋がりました。

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