榴弾砲について

榴弾砲は通常の砲弾ではなく、爆発型砲弾が装填されました。

そして爆発型砲弾は、鉄製の球形に火薬を詰めた信管を取り付けました。

一般的には、砲弾を高い弾道を描いて発射する大砲です。

弾道砲システムの中で部品ではなく、

視界外(非照準線のターゲティングです)が重要になりました。

目次

榴弾砲について

榴弾砲は、カノン砲(直射砲です)と迫撃砲の中間砲です。

射程が短く、大口径の砲弾を発射します。

つまり、障害物の上方へ発射できます。

しかし、前線の少し後方の位置からに限定されます。

軽量で砲身長が短いので機動性、攻城砲、歩兵への戦術支援ができます。

 

カノン砲は、敵部隊や防壁などへの直接射撃に使用される大砲です。

特に射撃弾道と照準線が見通せる時に向いています。

長射程、比較的小口径の砲弾が使用されています。

 

迫撃砲は、大口径の砲弾を障害物の上を超えて高く弧を描く風に投射します。

しかし、目標物にかなり接近する必要があります。

榴弾砲の歴史について

1419年〜1434年、フス戦争でフス派信徒が使用しました。

荷車に載せた中口径砲です。

17世紀、迫撃砲とカノン砲を合わせた榴弾砲は、スウェーデン人が開発しました。

当時は、6頭の馬で引けるレベルの軽量です。

6ポンド砲の場合は、13頭の馬が必要です。

ちなみにフス戦争は、1419年〜1434年までに中央ヨーロッパで起こった戦争です。

キリスト教改革派のフス派の信者とカトリック・神聖ローマ帝国の間の争いです。

 

18世紀、グリボーバルの改革によって、

一連の異なる口径の榴弾砲がフランス軍に採用されました。

グリボーバル・システムは、フランス王国の砲兵士官として活動していた

ean-Baptiste Vaquette de Gribeauval

(ジャン=バティスト・ヴァケット・ド・グリボーバルです)さんが

導入した砲兵システムです。

当時は、ドイツのプロイセン軍が7ポンドである榴弾砲(大隊砲です)として採用しました。

 

前車が短い榴弾砲は、戦場で迅速に移動できるので機動性が高いです。

前進する歩兵隊の頭上と防御胸壁を越えて高く放物線を描きながら砲弾を発射できます。

そして攻城堡塁は、榴弾砲が迫撃砲よりも機動力があります。

位置を変えて目標物を攻撃する事が可能になりました。

1812年、バダホス攻囲(3度目の包囲戦です)で

小さい5.5インチ口径が防御者に小銃を合わせました。

大口径の24ポンド砲で要塞を砲撃して、

12ポンド砲で要塞の裂け目に攻撃をする射撃も可能です。

 

19世紀、榴弾砲が普及しました。

非常に軽量な山岳榴弾砲を使用しました。

12ポンド口径で重さが89kg(キログラムです)です。

砲部品を分解して、ラバの背に載せて運ぶ事ができます。

1889年〜1902年、第2回ボーア戦争(イギリスとアフリカーナー(ボーア人です)が、

南アフリカの植民地化を争った戦争です。

ボーア人が榴弾砲を有効活用しました(イギリス陸軍が痛感しました)。

1908年、イギリス陸軍が

新型11センチ榴弾砲を許可しました(第2次世界大戦まで利用しました)。

 

第1次世界大戦、ドイツの列車砲であるビッグ・バーサが活躍しました。

口径43センチ、780kgの砲弾を15km(キロメートルです)飛ばす事ができます。

ベルギーのリエージュ周囲に築かれた装甲堡塁を破壊しました。

しかし、イギリス軍は46センチ榴弾砲を多く発注しましたが、終戦後に納品されました。

 

20世紀、榴弾砲はカノン榴弾砲に進化しました。

カノン榴弾砲は、榴弾砲よりも直射砲に近い火砲です。

アメリカ海兵隊は、M777軽量155ミリ榴弾砲を使用しています。

海兵隊や歩兵隊に高精度な火力を持続的に提供できます。

つまり、軽量で迅速な展開が可能です。

主に照準線上の目標物、丘の頂上にある目標物に対して有効です。

斜面の前方、裏側も命中できます。

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