日本の水道の歴史について

16世紀、日本最古の水道施設が整備されました。

戦国武将である北条氏康さんが、

小田原城下に飲料水として小田原早川上水を整備しました。

北条氏康さんは、戦国大名です。

日本三大奇襲の1つである川越城の戦い(川越夜戦です)で勝利をしました。

川越夜戦は、北条氏VS上杉氏と足利氏の連合軍との戦いです。

ちなみに、1715年~1771年まで活躍しました。

目次

①日本水道の歴史について

小田原早川上水は、1936年に近代水道施設が設置されるまで飲料水として利用されていました。

近代水道はろ過や沈殿、ポンプ圧力、鉄管を利用したモノです。

1887年、日本で初めて給水が開始されました。

これは、ため池などをそのまま利用して飲料水にするのではなく、

浄水処理を行います(沈殿やろ過などを利用します)。

ろ過した水を消毒して、ポンプ圧力をかける事で鉄管に通じて給水できます。

日本の水道事業は、江戸時代に活発化しました。

1858年、江戸幕府は日米修好通商条約を結びました。

そして、開港地を横浜に決定しました。

当時の横浜は、埋め立て地を拡張化していました。

不十分な土地の影響下で、飲用水と海水が混ざり込んでいました。

品質の良い飲料水の提供が難しかったです。

打開策として、神奈川県はイギリス陸軍工兵であるHenry Spencer Palmer(ヘンリー・スペンサー・パーマーです)を設計者として迎えました。

これは、お雇い外国人ですね。

ヨーロッパの最新技術を伝承する事によって、近代水道が完成しました。

日本最初の蛇口である獅子頭共用栓ですね。

家庭内で利用すると水道料金が高かった為、

共用スペースに設置する事で多くの人が利用できるようになりました。

さらに、給水と消防などの有効活用方法も伝授しました。

②日本水道の近代化について

明治時代に入り、江戸時代から利用されていた手法をそのまま利用していました。

しかし、安全性に欠けている事や消防用水の確保などの水道問題がありました。

1888年、近代水道に向けた調査設計が開始されました。

当時、近代水道の父と呼ばれていた中島鋭治さんが大活躍をしました。

中島鋭治さんは衛生工学を学ぶ為に欧米に留学後、

近代水道建設に生涯を注ぎました。

主に東京都で東京市水道建設改良工事に携わったり、

新たな導水路の建設などをしました。

東京都以外にも日本各地に水道事業に関わる事によって、

日本の水道の近代化に大きな貢献を残しました。

ちなみに、1858年~1925年まで活躍しました。

③近代水道について

明治時代~大正時代、重要交通機関である馬がよく利用されていました。

1906年、東京府庁舎前に設置されました。

これは、市設共用栓として給水されました。

1918年、水道局舎寄りに移転さるまで長く給水が行われていました。

交通機関に利用されていた馬が拡大していき、馬水槽を設置しました。

馬水槽は、水飲み施設です。

上部に設置されている水飲み場…馬用です。

下部に設置されている水飲み場…犬用や猫用です。

裏面に設置されている水飲み場…人間用です。

現在は、JR新宿駅東口に設置されています。

これは中島鋭治さんがに欧米諸国を視察時に、

ロンドン水槽協会から寄贈されました。

現時点では、世界に3つしかない貴重な存在です。

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